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インタビュー #6 道又正秀さん


INTERVIEW


道又正秀


有楽町は、所沢中心市街地の中でもマンションが少なく、昔ながらの木造住宅も残っています。国道463号が通り、町が有楽町と北有楽町に二分されたことから、全体世帯数555世帯(2017年9月30日所沢市役所データ)と旧町地域の中でも比較的世帯数が少なく、所沢市の指定文化財を町内会で2つ保有している“歴史と文化が残る町”としても知られています。有楽町町内会長を務める道又正秀さんに、歴史を受け継ぐ有楽町の魅力と町内会の活動についてお話を伺いました。

 

道又 正秀(みちまた まさひで)さん
1940年、有楽町の産婦人科医院の家に生まれる。小学校の頃からビル建築に興味を持ち、建築学の道へ。大学卒業後、「橘建築設計事務所」に就職し、1級建築士を取得。競技場などの公共施設などの大型建築を手掛ける。35歳の時に独立し、有楽町で「道又建築事務所」を設立。工場設計や学校の設計などを手掛け、所沢市内の建築物では、住宅のほか、星の宮会館、日東会館、西所沢駅前のビルなどがある。1999年、有楽町町内会長に就任。2014年、所沢市町内会連合会会長に就任。子どもは2男1女、孫は8人。趣味は、ガーデニングと写真。

 
 

文化財を2つも保有する町内会
「歴史的価値のあるものはお披露目を」

 


――道又さんが町内会長になって何年目になりますか?
 
「もう19年になりますね。町内会長は私で6代目になりますが、ここで生まれ育って町を長く知っているからか、自然に町内会長を引き受ける形になりました」
 
――有楽町は歴史を大切にしているイメージがありますね。
 
「そうですね。有楽町には、所沢市が指定している文化財を2つ持っています。文化財を2つも所有している町内会は珍しいんですよ。住民もそれを誇りに思っています」
 
――その1つが、有楽町の山車ですね。
 
「はい。明治時代初期に制作されて以来、大きな改造もなく当時の形式を今もよく伝えている山車です。はじめは、今の立川市の『砂川村』の所有だったのですが、維持できなくなったことから、16代深井伝右衛門が買い取り、町に寄付したと伝えられています。左右の柱に上り龍と下り龍、破風には竜宮の彫刻が施された豪華さが特徴で、1996年に所沢市指定文化財になりました」


有楽町の山車

▲見事な彫刻が施されている有楽町の山車

 
 
――山車が文化財になってからは、山車の扱いに変化はありましたか?
 
「山車に老朽化が見られましたので2001年に化粧直しをしました。その後は、町内で大切に保管し、仕舞い込んでいたのですが、歴史的価値のあるものは、やはり多くの皆さんに見ていただきたいとの思いがあって、私が町内会長になった時から『ところざわまつり』でお披露目することになったんですね。『ところざわまつり』には、毎年、元町コミュニティ広場に持っていき、『有楽町太鼓連』の重松流祭り囃子とともにお披露目しています。また、5年に1回『ところざわまつり』は2日間開催される“大祭”になりますので、その年は所沢駅西口広場まで曳いていき、さらに多くの人に見てもらっています」
 
――皆さんの反応はどうですか?
 
「市指定の有形文化財ということで、多くの人が興味を持って見に来てくれています。メディアの取材や、写真を撮ってブログなどにあげてくれる人も多く、知名度も上がったようですよ。それにより、有楽町の住民の皆さんも『文化財を守っていきたい』という意識もさらに高まっているんじゃないでしょうか」

 


有楽町の山車

▲多くの人で賑わう『ところざわまつり』にて

 
 

八雲神社の天王様のお祭りで文化財を展示
今も昔も町が一丸となれるお祭り

 


――もう一つの文化財について教えていただけますか?
 
「もう一つの町内会の“お宝”は、『八雲神社祭礼用具 附 箱十二合』です。有楽町には、町内会で守っている神様『八雲神社』があり、その祭礼行事『天王様』に用いられた祭礼道具が文化財になっています。明治13年に有楽町の糠問屋だった大坂屋惣兵衛から寄進されたもので、伝統的な祭りの形式を伝え、かつての所沢の繁栄期が分かる資料としても貴重だということで2014年に市指定文化財になりました」
 
――「天王様」はどのような神様なのですか?
 
「『天王様』は、『牛頭天王(ごずてんのう)』という神様で、伝染病などを退けると信じられています。今に伝わる『天王様』のお祭りは、町で疫病が流行した時に『神輿(みこし)でも出して水でもかけたならば疫病が鎮まるであろう』ということが始まりと伝えられています」
 
「祭礼用具は、そのお祭りの際に神輿に乗せて町内を回っていましたけれど、今は、八雲神社の境内と拝殿に展示してお披露目しています。また、有楽町の山車も同時に境内に展示しています」


天王様のお祭り

▲住民が一丸となる『天王様』のお祭り

 
 

――皆さん『天王様』のお祭りを楽しそうに参加されていますね。
 
「そうですね。祭りに向けて町内会の皆さんが協力し合って一体感が生まれますからね。子どもたちに重松流祭り囃子や盆踊りを教えたり、また子ども同士が教えあったりしていますし、皆さんがそれぞれの役目をもって1年がかりでお祭りの準備を進めています。そういう活動から、住民同士の交流が生まれ、絆も強くなっていると思います」
 
――道又さんの子どもの頃とお祭りの様子は変わりましたか?
 
「私が子どもの頃は八雲神社に向かうまでに夜店もたくさん並び、身動きの取れないほど人が集まるお祭りでした。残念ながら、今はそれほど混むことはなくなりました。でも、町内の皆さんが楽しみにしていて、みんなが一丸となって取り組むという点では変わっていません。昔は有楽町の家々には地口絵の行灯が掛けられていたものですが、今は町内会で保有している3、40個ほどを通りに掛けて、昔の夏祭りの風情を伝えています」




 

有楽町の名前の由来「楽しみが有る町」
歴史的人物が愛したレストランも健在

 


――有楽町は比較的、落ち着いた雰囲気の町ですね。
 
「今はそうですね。私が子どもの頃は、とても賑やかな町で、家の目の前の通りには商店街もありました。この『有楽町』という名前は、昔の街並みからつけられたと言われています。所沢は江戸時代には宿場として栄え、明治・大正時代には、織物商で栄えましたが、この辺りは、その商業で栄えた銀座通りの裏を流れる『東川』の北側を『裏町』と呼んでいたそうです。『裏町』が『浦町』となり、料亭や芸子さんがいる華やかな町だったことから、『楽しみの有る町』として、『浦町』が『有楽町』と記されるようになったそうです」
 
――「楽しみがある町」ということで、道又さんが記憶にあるのは何ですか?
 
「子どもの頃は、有楽町にはプールもありましたし、映画館もありました。人通りも多かったんですよ。今はもうそのような店や施設はなくなりましたが、今でも残っているのは『割烹 三好』。創業明治15年のレストランで、昔は『三好軒』という名前でした。所沢で初の洋食レストランとして有名で、旧日本軍への航空技術の指導のためフランス航空教官団の団長として来日したフォール大佐が、所沢飛行場に滞在した際の御用達の料亭だったそうです。今でもフォール大佐が好んで食べたカツレツなどのメニューが残っています」




 
 

子育て世帯が増加している町
「町内会加入率アップに努めたい」

 


――全国的に高齢化になっていますが、有楽町の高齢化率はどうですか?
 
「他の町に移り住む人も少なく、ここに長く住んでいる方が多いですが、新しい戸建て住宅が建つと、若い世帯が入ってくるので、お子さんの数は逆に増えているんですよ。今は、建て替えを行うと、1つの土地に2、3軒の家を建てて売られますからね。新しく来られる方の大半が所沢市内から来られているので、有楽町の環境が子育て世帯に好まれているのではと思います」
 
――町内会加入率についてはどうでしょうか?
 
「約60%なので、他の町内会に比べると低いかもしれません。ですので、新しく引っ越してこられた世帯には、その地域の班長さんが町内会を案内し、地図もお渡ししたりしています。マンションなど集合住宅が建つ前に、不動産会社に協力してもらって、町内会に入ってもらうようにするなど、加入率を上げるように努力しているところです」
 
――町内会に入るメリットはどんなことがありますか?
 
「私は町内会に入るメリットはとても大きいと思うんですね。町内会に入ると回覧板がまわりますので、地域情報や町内会の取り組みを知ることができますし、町内会でやっているイベントやお祭り、サークルなどに参加することで地域とのコミュニケーションが生まれ、何かあったときに協力し合えるような関係も築けます。」
 

 

静かで生活がしやすい町
変わらない町で住民が仲良く

 


――有楽町はどのような町だと思われますか?
 
「表通りは、タワーマンションが建ち並ぶ街並みになりましたが、この有楽町は、比較的マンションが少なく、戸建て住宅が多い町です。表通りの交通量は多いですが、ここまで騒音が聞こえないので、静かで生活しやすく、歴史や文化、お祭りを通じて、住民同士が仲良く暮らせる町だと思います」
 
――今後の目標は何でしょうか?
 
「町内会長としては、やはり加入率を上げていきたいと思いますので、新しい住民の方には町内会のご案内をしていきたいと思います。町内会の役目としては、2つの文化財を守り、有楽町の歴史と伝統を次の世代に伝えていくことですね。そういう活動が、町の愛着を生み、住民同士が仲良く暮らせるまちづくりにつながっていけばと願っています」
 




 
 

- インタビューを終えて -


「ところざわまつり」や「八雲神社」のお祭りの際に、有楽町に残る、歴史ある山車や重松流囃子、祭礼用具を目にして、所沢の魅力を再発見した人も多いことでしょう。ある意味、有楽町は所沢の歴史に触れることができる代表的な町です。
 
2つの文化財を抱え、歴史を伝承していく町の町内会長からは、きっと多くの重責から多くの苦労話が出てくるのかと構えて臨んだインタビューでしたが、町内会での役割分担やルール化により、みんなが協力してスムーズに運営が進められており、支え合いの様子がうかがえました。
 
新しいことに取り組んで町を活性化するという“まちづくり”の方法もありますが、昔からの良き町の文化や伝統をなるべく変えずに守り伝えていく役目の大切さも考えさせられました。
 
これからは、時代の流れとともに、有楽町にも新しい住宅が建ち、新しい住民も増えていくと思いますが、道又さんが仰っていたように「有楽町らしい歴史と文化を守る」という共通認識のもと、「歴史や文化、お祭りを通じて、住民同士が仲良く暮らせる町」が続いていくのではと思います。


INTERVIEW

 

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